社会的ひきこもり

図書館に本を借りに行った時に、気になったので、社会的ひきこもり―終わらない思春期
を借りてきました。

ひきこもりを理解するのに、「ひきこもりシステム」といものを提唱されていて
もちろんこの考えは仮説の1つに過ぎませんし、ひきこもりの原因をここまで単純化するのは、行き過ぎかもしれません。しかし私自身はこうしたシステム的な発想が、まさに単純で素朴であるゆえにこそ意義を持つと考えています。少なくともこのモデルによって、ひきこもりのさまざまな状況が説明しやすくなったり、治療計画をたてやすくなったりするという効用は期待できそうです。(P.99より)

と書かれていましたが、こういう問題をとらえる枠組みとしてこういうものを提言することで具体的に議論もすすめやすくなるようにも思ったのと、実際このひきこもりシステムの考えは、個人的には理解しやすいモノでした。

人がそもそもなぜひきこもるのかということについて、ちょっとした対人関係のつまづきから、以下の3つの要素の領域で、何らかの悪循環が生じていると書かれていました。
・個人
・家族
・社会
ケータイで撮ったのでわかりづらいですがP.101にひきこもりシステム模式図というのがあって、↓これです。
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うまくいっているときには、個人-家族-社会のそれぞれに接点がある状況ですが、ここでいう接点というのはいいかえるとコミュニケーションということなのですがそれが、「相互性」が不可欠とのこと。

たしかに、家族は、仕事を通じて社会的な接点を持っており、そこで家族は社会とうまくやっているという反論があるかと思いますが、著者の方はその点について

私が3つのシステム間の乖離を強調するのは、「ひきこもり」の問題に関して接点が失われている、という意味なのです。そう、表向きはきちんと社会生活を営んでいる家族でも、ことわが子のひきこもり状態については、態度を閉ざしてしまうのです。(p.107より)

と書かれています。

著者の方の統計結果によると、ひきこもり傾向になるのは、女性よりも男性に多く、きょうだいの順位では長男に多くみられるそうで、家庭環境として両親ともに高学歴で中流以上の家庭で、仕事熱心だけど養育には無関心な父親と過敏で過干渉気味の母親という組み合わせも珍しくないということで、ちょっとステレオタイプな感じも正直しましたが、この本が書かれたのが1998年なので、そう考えるとこの著者の考察もかなり鋭いように感じました。

ちなみに、ひきこもりの国際比較もされていて、海外の精神科医に対してアンケートを行ったそうですが、日本のような状況と同じような国がないそうですが、日本自体比較的裕福な国であるのが多少要因っぽいようで、タイの精神科医が「彼らは、生活費をどうしているのか」という疑問をなげかけたそうですし、フランスでもこういったひきこもりの状況は中学1年のころから見られるものの、彼らの多くがホームレスになってしまうために、現状がつかめきれていないそうです。

読んでいてふと思ったですが、大人になる過程で、入学だったり、就職だったりといった人生の節目の時に、ちょっとした失敗によって挫折した時に、その当事者にとっての受け皿となるような「場」が色々な所で求められているような気になってきましたし、若い人に限らずこれから定年を迎える人で俗にいう会社人間の人にしてみれば、自分のよりどころとなるような「場」の喪失を味わうのかなぁと思うと、そういった人も、似たようなことが起こったりしないのでしょうかね??
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by h5y1m141 | 2007-05-10 10:13 | 読書メモ
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